ぼくたちはどこに旗を立てよう #ぼく旗

映画監督・藤井道人「僕はいつもびびっている」BABEL LABELの誕生と成長|ぼくたちはどこに旗を立てよう【#ぼく旗 Vol.5】

「自分自身に希望を持つこと」は、「旗を立てることだ」。

そんな信念の基に生まれたプロジェクト「ぼくたちはどこに旗を立てよう」。

「人」というものへの興味が尽きないシングメディア佐藤が自分自身の旗を立て続ける人たちと語り合っていきます。

前回からお送りしております「バベルレーベル篇」。

旗立人は日本大学芸術学部在学中に自主映画を作っていた同世代の仲間を中心に結成された映像ディレクター集団/映像制作会社、株式会社BABEL LABEL(バベルレーベル)の代表の山田久人さん、さらに、設立者である監督の藤井道人さんです。

先日発表された第43回日本アカデミー賞では、優秀作品賞・優秀監督賞をはじめ、6部門受賞した映画『新聞記者』

昨今の政治的題材に取り組みながら、大きな情勢に翻弄され苦悩する個人に光を当てた人間ドラマを作り上げ、劇場では満席が相次ぎ、終演で拍手が起こるという所謂「新聞記者現象」を引き起こしました。

Vol.5では、お二人が所属するBABEL LABELの誕生秘話、当時の構想、社員への想いなどを語っていただきました。

BABEL LABEL
日本アカデミー賞を6部門受賞した藤井道人監督の映画『新聞記者』をはじめ、自社でオリジナル映画『LAPSE』を製作するなど様々な話題作を生み出し続けている。

今回のセクションはこんな感じ。

山田久人
映画やCM、MVなど様々なジャンルの映像を手がける株式会社BABEL LABEL(バベルレーベル)代表、プロデューサー。
株式会社AOI Pro.退社後、そこで培った経験を生かし、代表として様々なディレクターが所属するBABEL LABELの基盤を担う。
大学時代の映画制作がきっかけで映像の道へ進む。
藤井道人
株式会社BABEL LABEL所属の映画監督・脚本家。
2010年にBABEL LABELを設立。
2014年伊坂幸太郎原作映画『オー!ファーザー』でデビュー。
2019年公開の映画『新聞記者』では第43回日本アカデミー賞6部門受賞、第32回日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞、2020エランドール賞、第29回映画祭TAMA CINEMA FORUM 第11回TAMA映画賞を受賞。

BABEL LABEL誕生のドラマ

佐藤一樹(以下佐藤)ーーでは、第2部はバベル設立についてお伺いしていこうかなと思います。

藤井道人(以下藤井) 当時、フリーターと名乗ることが嫌だったんですよね、それで何かに頼りたかったんです。そこから「バベル」っていう名前を志真(BABEL LABEL Dir志真健太郎)と考えました。

でも志真はその頃サラリーマンだったので、僕はほぼ1人で「バベル」として活動していました。意外と1人でもできていたこともあったんですが、それでもビジネスと言えるものではなかったように思います。それで、1人、2人、3人、4人と仲間が増えていく中で、「会社にしなきゃ」と思い、何も分からないまま会社にしたら、税務署に怒られてしまって。それで社長を代わってもらったんですが、それでもやっぱり上手くいかなくて。山ちゃんになってからようやく、みんなが知っているバベルになりましたね

佐藤ーー山田さんの前に別の社長が立っていたんですか?

藤井 そうですね。立っていました。

まだ何がやりたいのかも決まっていない時代にコンサルティングとして「こうするべきだよ」と言う感じでアドバイスしていただくことが多かったんですが、でも実際、僕らのような野犬はそんなの聞くわけもなくて、毎回毎回喧嘩して仕事の方向性も合わなくなってそのうちお金がパンクしました。

その時、もう山ちゃんもこっちに入ってくれていたので、2人で「どうする」って東西線沿いを歩きながら話して、そしたら山ちゃんが神楽坂駅のホームで「俺、社長やるよ」って言ってくれたんですよね。そこから会社を立て直しました。

佐藤ーー山田さんはなぜそこで自分から社長をやることを申し出たんですか?

山田久人(以下山田) 僕がやらないといけないっていうのが分かったので

プロデュース業が好きだったので、ギリギリまでやりたくないと言っていました。監督ではないけれど、クリエイティブなこともするプロデューサーという仕事を楽しいなと思っていたので。社長業をやってしまうとそれができなくなるだろうなと考えていました。だからやりたくなかったですが、それでも、バベルはもう人生だなと思ったので、そこはもう「やるか」と心を決めてやりました。

力強い言葉で決意を語る山田さん。

佐藤ーーもし、山田さんがやっていなかったとしたら……?

藤井 そしたら僕がやろうと思っていました。誰もやらないならそこは責任をもって僕がやろうって。監督という人生をもう少しセーブしてやろうと思っていたのですが、まあでも山ちゃんがやってくれたのでそこは助かりました。

佐藤ーーメンバーはどのように増えていったのでしょうか?

藤井 徐々にです。最初は5人くらいから始まって、そこに山ちゃんが入って、その時は制作部とかもいなかったので、いろんな人が協力してくれて。いろんなことが上手くいかない時期でしたね。僕もデビューしていましたが、映画としても上手くいっていなくて、いろんなことがキツかった時期でした。

佐藤ーーデビュー作のお話が出ましたが、どのようにそのオファーを受けたのでしょうか?

藤井 脚本が決まるまでの企画書を書くライターをやっていた時に、仮で書いた初稿を*伊坂先生がいいねと言ってくれて、僕が*『オー!ファーザー』の脚本家に決まりました。それが奥山和由プロデューサーの抜擢だったんですが、そしたらクランクイン半年前に監督が降りてしまうということがあって、その時短編とかで賞をとっていたということもあったので、急に僕に白羽の矢が立ちました。

即答で「やります」と言いました。それが2013年とかの話ですね。2014年に公開された映画で、そんなに時間は経っていないですけど、僕の中では太古の記憶になっています。

神妙な面持ちです。
伊坂先生:伊坂幸太郎。小説家。代表作に『グラスホッパー』、『アヒルと鴨のコインロッカー』などがある。藤井のデビュー作、『オー!ファーザー』の原作者。
『オー!ファーザー』:2014年5月24日公開。伊坂幸太郎原作の映画。藤井道人にとって本格的な長編映画監督デビューとなった作品。

変化する映像業界の中でチームである理由

佐藤ーーバベルを作った当時は会社像みたいなものがあったのでしょうか?それぞれがチームを組んで、という感じですかね?

藤井 あの時、世の中にクリエイター集団みたいなものが結構あって、僕はそういうの結構かっこいいなって思っていたんですよね。でもその人たちって、いなくなっちゃったりしてて。それで、僕たちはいなくならない最高のクリエイターチームを作ろうっていう想いがざっくりはありましたね。

佐藤ーー最初は確固たるものがあったわけじゃなくて、そういうざっくりとした想いから今こういう風にしっかりと形になっているっていうのはすごいですね。

藤井 そもそも僕たちはビジネス的な素養がなくて、どちらかというと想いでやっていて、ビジネスに、会社にしてくれたのは山ちゃんなんですよね。だからそれまでは責任感がなかったんです。自分たちを「バベル」って名乗って、とりあえず「オフェンシブに映画を作っていこう」っていう1個の活動みたいなことでした。でもそれって結構息詰まるんですよね。

佐藤ーー山田さんは以前、「オフェンス力ではなくディフェンス力」とおっしゃっていましたが……。

山田 そうですね。

バベルは最初、オフェンスしまくりました、攻めまくったんですよ。それで今度は関わってくる大人たちのレベルが変わってきて、そこでこのままオフェンスし続けたら一発の攻撃で死ぬことに気づきました。そこから、去年の下半期の半年くらいで一気にディフェンスに力を入れて、また一気に攻撃できるようにしました。

何か問題が起きた時に僕たちは素人だから法律の話とかをされてもわからないわけで、ずっとオフェンスの気持ちでやっていると負けるんですよね。気持ちが大事だと言っても準備している人間にはやっぱり負けるから、そこに対してみんながいい作品作るために、ディフェンスを固めました。作品を作ると言うことは契約の問題とかがどうしてもありますからね。

今会社が大きくなってきて、そういう部署ができて、広報の人間もいて、僕とか藤井じゃできないところに挨拶に行ってくれたりとか作ったものを広める作戦を考えてくれたりとかして、そういうことをやることが今のバベルの中では意味のあることだと思うから、僕はどちらかと言うと監督陣にはオフェンスしてもらってディフェンスを僕がある程度考えないといけないなって思いますね。

藤井 山ちゃんはゴールキーパーですね。

和やかな雰囲気ですが、確固たる意思のようなものを感じました。

佐藤ーー全員が攻めればさっきの話に出たようなクリエイター集団のようなチームができますが、そこがある種、何かが起きた時に山田さんみたいな役割の人がいないと同じように散って終わりなのかもしれませんね。集団の理由がないというか。山田さんが担っている役割というのはバベルの中でかなり大きなものであるように感じましたが、一人でそれほどのものを背負うのはなかなか大変ではないでしょうか?

山田 監督が9人もいますからね。

藤井の話にもありましたが、クリエイター集団みたいな方針で、という話はしていました。

日本では、元々のスターが集まって集団を創ることはあっても、プロダクションも一緒に制作を育てるところからやろうっていう会社は意外とないんですよね。僕らが始めた時はスターでもなんでもなかったので、仕事なんてなくて。それでプロダクション業務やりますよっていうのでやっとディレクターに仕事をくれるっていう案件ばかりでした。そこから始めていった会社はめずらしいのかなと思いますね。

普通海外だとクライアントからディレクターに仕事が来てディレクターがプロダクションを持っていて、そこに発注するんですよ。それはディレクターがそれだけプロデューサーとかプロダクションマネージャーとか、プロダクションの価値を分かっているからそうなんですけど、日本はその仕組みが逆になっている。それはやっぱりちょっとおかしいと思っているので、それがバベルでできたらと思っているんです。

藤井は映画をいろんなプロダクションでやっているので例外ですが、うちの今の仕組みが、ディレクターに仕事が来てそれでバベルで制作も受けられますっていう体制になっているのはやってて意味があったなって思いますね。

佐藤ーーその辺の組織の理想像みたいなものは最初からあったものなのでしょうか?

藤井 夢というか、妄想みたいなものはありましたが、最初から組織っていうものに対しての統率みたいなものはあまりなかったですね。みんなをしっかりマネージメントしてっていうよりは、個人個人の集合体であればいいっていう風に最初は考えていたので。なるようになるとしか考えていなかったです。

もちろん自分自身ではなんとなく構想みたいなものはありましたが、それを例えば志真とか*原(BABEL LABEL Dir 原廣利)にこうやれとかこうした方がいいみたいなのはそんなにしなかったと思います。ある一定の時期までは。

佐藤ーー今は違うということでしょうか?

藤井 今は言わなきゃいけないと思う時は言っています。でも、言わないのが一番いいと思っていて、背中で語るというか、自分の活動とかクリエイティブで見せたことで刺激を受けた方がいいと思っています。人って大体、「こうした方がいいよ」って言うと「そんなのわかってますよ」って言うじゃないですか。でも言うだけでやらないと思っています。自分が背中で見せないと動かない人は動かないし、ケツ叩かないと動かない人もいるから、そこはちょっと2020年の目標かなとは思います。もう少しちゃんとみんなのことを見ていこうというか、何をどんな風に伝えたらいいかみたいなことは監督しかわからないところはあると思うので。

2019年は個人活動に没入しすぎたのでちょっとそっち方面をもっと頑張らないとなと思いました(笑)。

佐藤ーーとは言いつつ、2020年、もっと個人活動に没入するのでは?と思ってしまいました(笑)。2019年は収穫の時期と言いながらもそれが種まきにもなっていたのではないでしょうか?

藤井 できることが増えたのでそれはもうちょっと会社に還元しないとあまり意味がないなって正直思っていて。できることはもうなんとなくわかるというか。

佐藤ーーその辺の視点の違いというか、藤井さん自身が爆走するのと、会社としての方針との違いについてはどうなんでしょうか。

山田 そこは、そうなるものと思っています。

もちろん、藤井以外のメンバーの面倒をみている感はあるので、いろいろやらなきゃいけないなと思うこともありますが、それはそれだと割り切っています。

絆はありますが、ある程度個々の大人としてはドライではあるので、自分たちでやらないといけないことは自分たちでやらないといけないし、俺がやれって言ってもやりたくないことはあるだろうと思うので。もちろんそこには怒りや嫉妬はないですし、当たり前ですがお互い迷惑がかからないところで、チームとして何か一緒にやれたらいいなっていうのは常に思っていますね。でも、その中で「うちには藤井がいるんで」みたいな胡散臭いおじさんみたいなことはしたくないなとは思いますけどね(笑)。志真とか原の作品で「いや、藤井がなんて言うか…」みたいなことは絶対に言わないです(笑)。まあ、一緒にやれたらいいなとは思ってますね、今も一緒にドラマの話とかよく話してます。

佐藤ーーいい意味で依存し合っていないというか。阿吽の呼吸じゃないですが、そのバランスっていうのは案外とれるようでとれないですからね。日々話しているんですね。

藤井 あまり会話が途切れなくなりましたね。現場に行ってしまうと何ヶ月も離れてしまいますが、常に報告し合っている感じはあります。

僕は自分の人生においてターニングポイントだったのが、自分の創業した会社の従業員になる、それで固定給になるという時でした。それはやってよかったなと思っています。自分の成長と会社の成長が自分ごと化されるんですよね。そういう意識もあって「働かされている」と思ったことがないというか。

働き方改革とは言いますが、働く時間まで指定されるというのはどうなのかなと僕は思います。自分の人生なのだから自分の時間は自分で決める方がいいのではないでしょうか。自分が起きたい時に起きて、働きたいときに働いて。

ただそれがフリーという働き方だったら、もしかしたら多分もっと利己主義というか、自分だけ稼げればいいと思うかもしれませんが、そこを自分はサラリーマンで生きていくと決めている以上、会社も自分ごと化される。そこが他の人と違うところだと思っています。

佐藤ーーお二人とも給料は一律なんですか?

山田 まあ、一律というか、僕は代表なので完全に固定ですが、すごい頑張ってる人にはもちろん払う前提です。うちでいうと志真と藤井は社員なので、固定ですが。

佐藤ーー働き方が多種多様になっていく中で、今の話にあるように、自分ごと化するかどうかのような課題もありますが、その辺についてはどう考えますか?

藤井 社員にならない理由って面白くて、「俺が働いたらいたら働いた分だけほしいから」って人が98%だと思うんですけど、その98%が失敗すると思っています。

もっと時代に向き合えば雇用の制度なんてこれだけ数年で変わっているのだから映像業界の雇用も変わる。「個人の時代だ」とは言っていますが、変わっていっている時に個人主義なんてものは、すごいまやかしなんじゃないかと思っていて、みんなそう思うべきなんじゃないかと思います。

個人主義というのは、誰も助けてくれないということではないでしょうか。国も助けてくれない。じゃあどうやって生きていくのかという時に、やっぱり、自分たちと考えだったり思想が合う人たちと、この映像業界において自分たちには何ができるのかってことを考える、その考える仲間を見つける方がいいと思っています。ただ、それをみんなに押し付けるわけではないので雇用しない人もいるし、フリーの人もいますが、僕の考えはそうです。わかりやすく結果が出ますからね。

真剣です。

佐藤ーーチーム、組織、会社である理由ってそうなんですよね。チームが続いていけるような環境作りが大事だなと思っています。それはバベルを意識している節はありました。この感じがずっと続いていくとどうなるのかは気になる部分ではあります。

藤井 非凡な人間たちは群れなくてもいいと思うんですよ。でもそんな人たちはそんなにいないというか。

佐藤ーー個人の時代はまやかしですね。

山田 作っているのものも映像なので、みんなで作るものですしね。

佐藤ーーそれがやっぱり大きいですよね。映像は1人で作るものじゃないですから。

山田 もともと予算がないところで、「お金はいいよ、みんなでいいものをつくろう」ってことで集まっている人たちでできてきた集団なので、助け合っている部分はたくさんありますね。全然お金はないですが、ちょっと余裕がある時に一緒にやろうよみたいな、そういう関係性だと思っています。個々でやりだすと限界は訪れるだろうなと思っていて、そういうチーム作りは大事にしていますね。

原廣利:BABEL LABEL所属の映像作家。日本大学藝術学部映画学科監督コース卒業。

得意なステージで勝負するために

佐藤ーーもう少し突っ込むと、でもバベル自体は個々の集団でもあるわけじゃないですか。そんな中で今言った理想の会社像というか、会社も自分ごと化していくことについて難しい部分も出てくるのではないでしょうか?

藤井 そうですね。僕はいつもびびっています。それはいい緊張感があるというか、評価されなくなったらどうしよう、そしたら会社の評判も下がるかもとか、全部が紐づいているからだと思います。

自分のことも会社のことになるということは、全部ダイレクトなんですよね。だからこそそれでいいというか、怠惰になることがないし。それをどれだけメンバーにシェアできるようになるかっていうのはすごく求められているとこではあって、そこがアクションできていないところなんですよね。だから監督たちに「よしじゃあ、チームなんだからちゃんとやるぞ」っていうのをある種かっこつけて背中で見せつけていたら、ぱって見た時に「あれ誰もいないやん! 誰も見てない!」っていう状態になった時もあるので、どう足並み揃えて、どうやって同じ方向向くかみたいなのはどちらかというと経営とかマーケティングとはまた別の、人をどう育てるかみたいな部分が大事になってくると思いますね。

佐藤ーー本当にそこは考える部分ではありますね。

藤井 いつの時代もそうなんですよね。やめる人はやめるし、やる人はやるんですよ。

働き方について語る藤井さん。

佐藤ーー組織やチームが強くなることについて山田さんはどう考えますか?

山田 作品作りと一緒で、バベルの作品のクオリティというかクリエイティブのプロデュースは藤井がやっていて、そこのお金面だったりとかもうちょっと全体の部分のプロデュースは僕がしていたんですけれど、話を聞いていてやっぱりリーダーは藤井だなと本当に思いますね。

うちはディレクターのマネージメントをするつもりはないんです。今の時代、ディレクターのマネージメントを行なっている会社ってたくさんあると思うんですけど、うちはマネージメントではなく、プロデュースをしています。ディレクター陣は何もないところから一緒にやっているメンバーや、今は若い子たちもいて、その子たちを何者かにするためにバベルがその子たちと一緒に映像を作って、一緒に上がっていくっていう考え方なんです。今はそこを大事にして、クリエイティブをさらに上げていければいいなと思います。逆に若い子たちに頼っている部分はすごくあると思います。

だからこそ、その上で何もうちにこれ以上は必要なものがない、勉強する部分がないとかうちにプロデュース受ける必要がないなと思ったら、出ていく人もいるだろうし、こっちもプロデュースを必要とされなくなった人は全然外に出ていった方がいいって本当に思っているのでそれでいいんですよ。

一緒にやっていなくても、忘年会に来てくれたりとかして、みんなバベルで育ったって思ってくれてるかはわからないですけど、バベルでやっていたんですよって感じの人たちが*ズッキーニから出ていった人たちみたいに頑張っていくような映像業界になっていけばいいかなと思います。

藤井 僕自身も会社も実は周りから見えている姿が正しいというか、僕たちがこうですってブランディングしても意外とそれって、良くないと思っていて。周りが作る自分たちの方が意外と信憑性があるし、多聞的でいいんですよね。

佐藤ーー今、映像業界を目指す人も、一般企業を目指す人もみんな同じように義務教育を受けて、なんとなく自分が興味を持てることに流れで進む、みたいな若者がすごい多い世の中で、きっとそういう人たちは自分が「なんとなくなりたい、やりたい」ことはあっても、絶対こうなりたい、とかはっきりとした「自分のやりたいこと」みたいなのが見えていない状態だと思います。そういう人たちに対して何かアドバイスがあればお願いします。

藤井 その、「なんとなく、やりたい」ことがある人たちってすごくいいなと思っていて、自分の人生をすごく自分を主人公化しているじゃないですか。「なんとなくやりたい」とか「失敗したくない」とか日々そんな葛藤があるなら幸せだと思います。

時代っていうのは止まらないし、止まったら終わりだと思うんですよね。羨ましい反面、10年後の自分を考えてみた時にあの悩んでた時間が無駄じゃなかったってなればいいけど「無駄だったなあ」、「あの時やっておけばよかったなあ」ってなるならどっちがいいのかなって思います。どっちが正しいとかはないと思います。悩んでていいと思いますよ。人類の若者の70~80%がそう思っていると思うし、多分こういうことに対して「こんな甘えてる時間俺にはないんだよ」って言う人とかもいるかもしれませんが、いやそれは「人の人生なんだから別にいいじゃない」って思うし、だからアドバイスみたいのは特にないんですよね。「見つかると思います」というか。遊べばいいですよ。仕事だと思っているから悩みが出てくるんじゃないでしょうか。遊ぶとお金がなくなる、お金を稼がないとと思うし、そうすると遊んでいることが自分の本質になってきていいと思いますね。

山田 言い訳しないように生きているといいですよね。

このことは僕もよく考えるんですけど、学生の時にすごい点数をとって、成績めちゃくちゃよかった人が公務員になったら多分人生うまくいくと思うんですけど、僕みたいに勉強で点数とれなかった人が社会人になって急に興味のない役所とかの仕事をやらせてもらえたとしても、多分高みを目指せないと思うんですよね。だから、僕もそうですが、そういう人ほど昔、勉強してこなかったから今やりたいことをやれないと思うより、やりたいことくらいしか今もやれないんだって思ったほうがよくて。僕らも興味あることだから仕事として頑張れてるけど、興味ないことに関しては本当になにもできないんですよね。だから、藤井も僕も得意なことをやっているからできていることっていっぱいあるけど、苦手なことを急にそこのステージにぽんと立たされたら、どうしたらいいかわかんなくなることはいっぱいあって、それはみんな一緒で、自分が得意なステージがわかっているから、そこで勝負するために頑張っている、そこにいくために頑張っているんですよね。

いじめられていた人が学校が変わったら人気者になることもあるし、日本で活躍できなかった人が、アメリカに行ったら人気者になる可能性だって全然あると思うから、それはそこでは活躍できなかったから、仕事変えろみたいなわけでもないけど一つの場所でうまくいかなくても環境変えたら自分がうまくいくことだってあるんだから、あんまり固く考えずに自分が言い訳できないやりたいことをちゃんとやって一回頑張ってみるのはいいんじゃないでしょうか。

感慨深いアドバイスをいただきました。
ズッキーニ:お二人が大学時代に所属していた映画制作サークル。現在、「ズッキーニ」の卒業生が映像業界において様々な形で活躍している。お二人の大学時代について、詳しくは前回のvol.4で述べられている。

#ぼく旗 編集後記

「働かされている」と思ったことがないと話した藤井さん。

会社のことも全て自分ごと化される環境がお二人の仕事へのひたむきな姿勢を形作ってきたのだろうか。

おそらくそれだけではないように思う。

「やりたいことくらいしか今はやれない」

これは前回も感じられたことだが、この言葉からお二人がいかに映像をつくるということが好きなのかが伝わってきた。

会社になっても、一人になっても、根幹にあるものは決して揺らがないのだ。

WRITTEN BY
高橋朋佳

株式会社ダダビのPR。クリームソーダとロックがすき。パンクに生きたい。現在シングメディアで修行中。