ぼくたちはどこに旗を立てよう #ぼく旗

人との繋がりを映像化した大石健弘のアイデンティティと溢れる情熱|ぼくたちはどこに旗を立てよう【#ぼく旗 Vol.1】

「自分自身に希望を持つこと」は、「旗を立てることだ」。

そんな信念のもとに生まれたプロジェクト「ぼくたちはどこに旗を立てよう」。

「人」というものへの興味が尽きないシングメディア佐藤が自分自身の旗を立て続ける人たちと語り合っていきます。

記念すべき初回に旗を立てくださるのは、佐藤の制作部時代の同期でもあり、サプライズ映像やドキュメンタリーを中心に制作する映像制作会社株式会社Happilm(ハピルム)で、代表取締役を務める大石健弘さん。

世の中に様々な映像が溢れる中、サプライズを中心とした映像作るという温もりに溢れたサービスを展開するHappilm。そんな素敵な会社を創った大石さんはこれまでの人生でどのような旗を立ててきたのか。

大石さん篇第1部の今回は大きく3つのセクションに分けて紹介していきます。

大石健弘
サプライズ映像やドキュメンタリーを中心に制作する株式会社Happilm代表取締役。
株式会社AOI Pro.退社後、エディターを経てフリーのディレクターとなる。
2014年Happilmを創業。
高校時代に自主映画を制作したことがきっかけでディレクターを目指す。
現在36歳。子どもが大好きすぎて仕事量が減る。

フリー転向のきっかけと主体性

佐藤一樹(以下佐藤)ーーさっそく大石さんにいろいろ聞いていこうと思うのですが、まあ最初はやっぱりフリーになったきっかけというか、経緯についてお聞きしていこうかなと思います。

大石健弘(以下大石) フリーになったきっかけは、もともと大学、高校時代に映画を作ってて、やっぱりずっと映画監督とか、ディレクターになりたいっていう思いがあったんですけど、制作会社の最終面接で、演出部から落ちちゃって。それでプロダクションマネージャーという職種についたんですけど、ずっとどこかしらやっぱり監督をやりたい、もっと作る方に回りたい、みたいな思いがありましたね。

爽やかな笑顔ですごいことを言っています。

そういう時期が3年間くらい続く中で、だんだんプロダクションマネージャーとしての責任が重くなって、お金の交渉とかがすっごい苦手だなと思うようになったんですよ。「やばいもうこの仕事きついわ」って思ってしまいましたね。それと同時に「やっぱりディレクターやりたい」っていう思いが募ってきて。

さらにもう一個言うと、当時、*ファイナルカットがマックブックでできるぞ、というか、ちょうどそれが流行り始めた頃で 、僕は大学時代からファイナルカットができていたので、「社内にファイナルカットできるやついるんだ」と言う感じで、当時は割と重宝されたんですよ笑。それで、いろんな修正とかナレーションあてとかVコンとかをやらされるようになって。一樹の現場にも休日なのにオフライン編集のために出勤するみたいな、そういう機会が増えて、「あ、なんか*エディターも楽しいな」やっぱり自分で実際に手を動かして作るっていうのはすごい楽しい、と思ったんですよね。しかも、ノートPCを使って会議室や現場で編集ができちゃうってことで、需要も増えていたから、この後エディターになるという形をとれそうというか、なんかできそうだなみたいな少し変な自信が湧いていましたね。仕事で褒められてそれが自信になるというよりは、「自分のこの編集技術でも通用するんだ」という自信というか。しかも当時、まだまだ学生上がりのレベルだったのに、要求が高くて。「ここ、合成して」とか「ここもう出来た?」とか現場だとスピードも求められて、当時はそういう過酷な環境に身を置かざるを得なかったんですけど、そしたら自然と編集のレベルも上がっていきました。

ファイナルカット:一世を風靡したアップルの発売するマッキントッシュパソコン向けの動画編集ソフト。
エディター:撮影された映像素材を繋げて、作品化する人。映像制作の最も主要部分を担う。

佐藤ーーやれることだけで仕事してないんですよね。やれないことを要求されても、躊躇せずにやっていたんですね。

大石 幸運にもやらざるを得なかったというか笑。現場エディターとして行ったらもうやるしかないじゃないですか笑。クライアントとかスタッフ、役者さんがいて、そこにエディターとして行ったら、もうやるしかない。できないなんて言ったら現場が凍りつきますよね笑。

佐藤ーーやっぱりその辺は大石さんの制作部としての経験が生きているというか、クライアントや代理店の人たちがいて、かつスタッフもいて、いろんな人がその作品に携わっている中で、自分もその中の一人だんだっていう認証できるかどうかって大事だと思っていて。できない人ってできないって言うと思うんですよね。

大石 まぁ、その主体性というか、「自分もその作品の中の1人の大事なスタッフなんだ」っていう当事者意識というか、そういうのは大事ですよね。

でも、結構、休憩時とかに、影でイマジカの当時の担当営業の方とかに電話して「あの、ここってどうやってやるんですか」って聞いたりだとか、「SDIケーブルはオーディオエンベデッドで差しますか?」みたいなことを言われた時も、「はーい」とは返事しておきながら、休憩時間に電話で「あの、オーディオエンデベッドってなんですか?」って助けを求めたりしてましたね笑。で、しれっと現場に戻ってきて、それっぽく振る舞うというか笑。そうやって助けてもらいながら修羅場を乗り切っていました笑。まぁ、今振り返るとそこで成長したなと思いますね。

人との繋がりを大切にしたフリー前期と今に続く原体験

佐藤ーーじゃあ、フリーになった後のことをお聞きしていきたいと思います。フリー前期、中期、後期で聞こうかな。フリー前期はどうでしたか?

大石 フリー前期は結構いろいろ問題が起きてですね…。一番印象的なのは某制作会社出禁事件ですかね。

佐藤ーー出た!笑

大石 辞めた直後からその辞めた会社と仕事をさせてもらったんですが、請求書の書き方とかよく分かっていなかったから科目や単価がめちゃくちゃだったり、時に制作部として請求したり、資料作成費、オフライン編集費とか色々な形で明細もつけずに請求しちゃっていて。

それって上層部の方からするとそもそも何で制作部辞めた奴が編集として請求できるんだとか思うわけじゃないですか。要は僕に対して不信感みたいなのがめちゃくちゃでてきたみたいで。不透明すぎるということで問題になっちゃったというか。

それは確かにそうだと自分でもかなり反省しましたね。

辞めた会社に対して浅はかに不透明な請求をし過ぎたことが本当に申し訳ないと思って、そこから謝罪をしにいきました。自分は制作部だったけど編集ができます、社員だった頃から実際に業務でやっていました、という説明もしました。

で、それならばいいよと言ってくれて。後は、制作の仕事はもうしませんよということも伝えました。自分的にもそれをしちゃうとずるずるいきそうだなと思ったので、そこはやっぱ割り切る必要があったというか。基本は編集だったり映像を作る人という方向でやっていきます、という方針も伝えた上で、穏便に許可をいただきました。

佐藤ーーこれを聞いてすごいなって思うのは、ちゃんと考えて、反省して、会いにいくということをしているという点ですね。そういうことがあるとどうしても隠れてやる人っていっぱいいると思うんですよ。逆に、もういいよ、ちがうところでやるし、みたいな人もいるだろうし。そんな中で、ちゃんと言いに行くっていうのはすごいですね。

大石 でも言わないと、職というか、稼ぎがゼロになりかねない状況だったんですよ。やめた直後は8割くらいその会社から仕事をいただいてましたし……。

佐藤ーー自信とかモチベーションの面ではどうでしたか?

大石 当時はエディターだったんですけど、ディレクターになりたいっていう思いがあったので焦りはありましたね。ただ当時はどうしても制作部上がりのエディターということで、ずっとやってきた本当のプロのエディターの人たちより能力は劣っていたから、まずは技術を磨こうって思っていました。エディターの先にディレクターがあると思っていたので今はエディターをがんばろうとがむしゃらに仕事していましたね。

雨の中センチメンタルになる大石さん。

佐藤ーーエディターだけ、というよりは常に先を見ていたと。

大石 そんな風に言うと、すごい野心、というか計画性があるように聞こえるかもしれませんが、そういうわけではなく、ありがたいことに、仕事は営業とかしなくても途切れず、制作部だった時に関わらせていただいた監督さんとか、同期や先輩からたくさんいただけて、そういうのを一つずつやっていくしかないって思ってましたね。

このまま自分はこういうプロセスを経て何年にはディレクターになってるんだっていう計画があったっていうよりは、目の前に来た仕事を一個ずつちゃんと頑張っていたと思います。というかそれしかできなかったんですよね。

佐藤ーーその思いっていうのがやっぱり大事ですよね。エディターっていう一つの職業で行こうというよりは、これは今自分ができることの一つなんだってっていう思い。そこでいろんな人との関係をつくっていく。そこで自分もこだわって質を上げる。っていう風にい一個ずつやっていったんですね。

大石 そうですね。それで、そんな中で、ディレクターになりたいんですってことを結構周りに言ってたんですよね。

佐藤ーーそこがやっぱりポイントですよね。

大石 そりゃね、ディレクターになりたいってずっと思ってますからね。高校の時から。

高校の学祭で映画を作ったんだけど、その時の原体験がものすごい人生を動かしていると思いますね。相当揺るぎないと思う。すっごい楽しかったし、すっごい大変だったんだけど、観客の反応を見た時すっごい嬉しくて、めちゃくちゃ嬉しくて涙が出ましたね。ベランダで1人号泣してました。

佐藤ーーやっぱり人の反応ですよね。それを経験しているかどうか。ネットとか人から聞いたとかじゃなく、自らその反応を体験してる人って強いですよね。

大石 もちろん下手な映画だったと思うけどそれでも拍手してくれる人もいれば、感想を言ってくれる人もいて。自分たちがむちゃくちゃ頑張った作品をみんなで見てる、同じ時間を共有してるあの瞬間がやっぱり自分にとって、まだ16歳だったけど、すごい世界が変わった感じがして。そこからはもう一気に、自分は映画監督になるんだって思うようになりましたね。

人への想いを情熱で映像化したフリー中期

佐藤ーーじゃあ、フリー中期についてお聞きしていってもよろしいでしょうか。

大石 中期で言えることは、自分はエディターっていうところからブライダルビデオディレクターになっていましたね笑。HappilmがYoutube上で生まれた時です。

エディターをやっている時にディレクターになりたいって言いまくっていたおかげでいろんな人たちがディレクターの仕事をくれるようになったんだけど、まあその多くがブライダルビデオのディレクター仕事でしたね。

結婚式で余興やプロフィール映像を流すっていうのが当たり前になってきた時代だったので、需要はすごいありましたね。

佐藤ーーじゃあディレクターとしての仕事を頼まれるようになってきたけれど…

大石 メイキングかコメントビデオかブライダルビデオ、でしたね。

佐藤ーーその当時はどういう思いがありましたか?

大石 ブライダルビデオに関しては、大学時代自分の兄が結婚するときに初めて作ったんですけど、最初はそれくらいしか経験がなくて。もちろん自分の兄のためだったら作ってあげようという気持ちになるし、楽しくやっていたんですけど、仕事でやりだした当時は、なんで自分の知らない人のお祝いしなきゃいけないんだろうなと思ってましたね笑。

普通のお仕事より予算もないし、そもそも予算なんてない時もあるし、だから給料的にも満足のいく金額じゃないし工数も多いし。結構グラフィックを作らなきゃいけないとかで、コスパも良くなくて。だから最初はあんまりやりたくなかったんです。でも、断れなかったんですよね。良くも悪くもお人好しの部分がありまして。頼られると断りづらい

佐藤ーーずっと変わらないですよね、目の前のことをずっとやっている

大石 そうなんですよね笑。目の前にブライダルビデオがきちゃったから笑。一回悩んではみるんだけど、スケジュールが空いてて「大丈夫っしょいけるいける」と言われると「あ、はい〜」みたいな感じでずるずる受けちゃうんですよね。

佐藤ーー大事なスタンスだと思いますけどね。

大石 いやでもほんとずっとやってましたよ笑。だってずっとブライダルビデオディレクターだと思われてるくらいだから笑。広告業界のブライダビデオディレクター笑。

佐藤ーーまあ、頼まれたらやりますよね。

大石 やらざるを得なくなって、しかもレギュラーでやる人たちもいて。なぜか笑。レギュラーってあるんだ、みたいな笑。

要は、仲良しグループとか、同じ制作チームとかで、この月はこの人、今度はこの人みたいな感じで結婚する人が増えていって。結婚する人が増えるたびにずーっと僕がやる。でその人たちとだんだん仲良くなって。

当時紹介された代理店の営業の方とかは、一度やってからその営業の方たちの仲良し大学仲間とほぼ全員そっからずっとやってますね笑。去年も作りました。わりとちょっと仲良くなっちゃったりとかして、自分の結婚式の二次会の司会をその人たちがやってくれて。ちょっと恩返し的な感じで。そういう不思議な縁が続いてたりしますね。

佐藤ーーでは、フリー中期で学んだこと、ポイントなどあればお願いします。

大石 振り返るとブライダルビデオたくさん作ったなって思ったときに100本は余裕で超えてて、200本とか普通にあるレベルだったんですよね。だんだんそんだけ作ってると人って不思議と変わるもので楽しくなってきてましたね。だって毎回企画も違うし、CMプランナーの人が入ってきておもしろいネタをみんなで考えたりするのも楽しくて

Happilm Youtubeチャンネル
大石さんが制作したウェディング&サプライズ映像はこちらで見ることができる。
ここで公開されているのは自身の友人に向けて個人制作したもののみとのことだが、2010年から様々な作品がアップされており、中には総再生回数122万回超えの作品も。

あとやっぱり一番はすごく喜んでくれるってことですね。本人が出演してる作品だとなおさらすっごい喜んでくれて。普通に、仕事の関係値以上に話せるというか。だから今でもその人と仕事したことがなくても代理店の営業の人とか、たまに会うと「あー大石さん!」って笑。不思議な関係にあるというか笑。

それでだんだん楽しくなってきて、毎回、今度はどうしようかな、こういう風に作りたいなあとかハードルを自分なりにあげたりとかしてきたんですよね。それで周りからブライダルディレクターって言われるようになってきたから「ああ、俺ってブライダルディレクターかな?」みたいな笑。

和傘が突然開いて驚きの大石健弘。

佐藤ーーその中で「*寿ビデオ大賞」でしたっけ?

大石 そうですね。それがやっぱり自分にとってのターニングポイントで。

ブライダルビデオをたくさん作る中で楽しくなっていった、そんなときに自分の友達、大事な親友が結婚します、と。高校の同級生で旦那さんも同じ高校なんだけど、ご両親にもすごいお世話になってて、自分が横浜に住んでいる時、その親友のお父さんも横浜に単身赴任してて、それでよく飲みに誘ってくれたりしてて。映像をやってることをすごく応援してくれてたんですよね。それですごい感謝してたから、この2人には、なんかむちゃくちゃ最高なものを贈ってあげたいなと。それで一生懸命作った作品を、ちょうど翌年にあった「寿ビデオ大賞」っていうのに応募したらグランプリに選んでいただいて。テレビやWEBニュースとかたくさんのメディアに露出がありました。それがきっかけで代理店の方から一本ドキュメンタリーの仕事がきたんですよね。たまたま受賞直後に別の仕事の現場でプロデューサーが「こいつブライダルビデオでナンバーワンとったんすよ」って紹介してくれて、「なになに見たい」ってみてくれて、後日「めちゃくちゃ良かったから是非監督をお願いしたい」って直接言っていただいたっていう感じで。そこがほんとに自分が監督として指名された初めての仕事でしたね。

佐藤ーーブライダルディレクターからの進化。ブライダルがきっかけでってことですよね。周りの人がレコメンしてくれるっていうのはほんとにいいですね。それがあるかどうかってやっぱりでかいですね。

寿ビデオ大賞:2013年9月26日から10月25日にかけて、アクサダイレクト生命が結婚式披露宴や二次会で上映するお祝い動画を募集したコンテスト。
参考

さて、いかがだっただろうか。

今回の「#ぼく旗」では大石さんのフリー中期までのお話伺った。

様々な壁が立ちはだかる人生の中で、ひたすらひたむきに目の前のことをやり続けた大石さん。

彼のひたむきで、人との繋がりを大切にする精神が、思いやり溢れる素敵な会社、Happilmという大きな旗へと繋がった。

次回の「#ぼく旗」では彼はどんな旗を立ててくれるのだろうか。

お楽しみに。


シングメディア×Happilmーー地域活性化プロジェクト始動…!?

今回インタビューをさせていただいた大石さんとシングメディアがタッグを組んであなたの住む地域の活性化を行います!

日本は今、人口減少や地方過疎化といった様々な問題を抱えています。

そんな時我々は思いました。

もっと日本をよくするために、我々が今できることはなんだろうか…。

「映像のチカラ」でなんとかできないだろうか…。

と、いうことで少しずつ動き出したこの企画。

テーマは「サプライズ」!

その様子は随時シングメディア上で発信していきます!

乞うご期待ください!

大石健弘個人サイト

今回インタビューさせていただきました大石さんの作品集はこちらから。

WRITTEN BY
高橋朋佳

株式会社ダダビのPR。クリームソーダとロックがすき。パンクに生きたい。現在シングメディアで修行中。