シングメディア・田口将伍(店長)のコラム

カースト上位から人生のどん底を経てたどり着いた場所 ~クズ野郎から人間へ~

こんにちは。シングメディアの店長こと、身長185cm、体重130kgの田口将伍です。

今回は自己紹介として、僕のこれまでの半生についてお話したいと思います。

順風満帆なスクールカースト上位の人生からテレビ制作会社での地獄の日々への転落、そしてガールズバー店長に上りつめてからシングメディアに入社するまでの経緯、シングメディア入社後の葛藤という、体重が130kgまで増えてしまった苦悩の日々を赤裸々に告白します!

「テレビ制作会社で働きたい」
「映像制作の仕事に興味がある」

という方には参考になる部分もあると思うので、ぜひ読んでみてください。

人生ちょろい! スクールカーストでは常にトップに君臨

生まれは福岡県北九州市の隣にある、行橋市。北九州市よりも品の悪いヤンキーばかりの町で育ち、小学生の頃から体がデカいこともあって当然のようにガキ大将でした。

怒られることも多い中、小学校高学年頃から野球を始めて、そこから小中高とずっと野球をやることに。

中学校ではリーダーをやらされたり、高校でも野球部のキャプテンを務めたり、体育祭では団長をやったりと、とにかく常にスクールカーストのトップとして君臨していたんです。

大学は日本大学の体育学科へ進学。体育学科なので体育祭もあり、そこでも団長を経験。

サークルでは野球以外の新しいことをやってみたいと思い、バスケのサークルに入りました。

バスケは初心者ながら、そこでもキャプテンを任されることに。思えばずっとキャプテン人生でしたね。

そんなふうにずっとリーダーばかりやっていたこともあり、「俺ってめちゃくちゃ優秀だし、何でもできるな」みたいな、根拠のない自信に満ち溢れていて、すっかり天狗になっていたんです。

就活もちょうど運よく氷河期が終わった直後くらいで、一番就活がラクな時代に当たったんですよね。受けりゃどっか受かる、みたいな。

だから何も対策しなくてもいろいろ内定もいただいて。その中に1個だけ受けたテレビの制作会社の内定があったんです。

特に制作の仕事に興味があるとかいうわけでもなく、単なるミーハー心と、「俺、テレビの仕事なんかしたらめっちゃ成功するんじゃないか?」という根拠のない自信だけで、その制作会社への入社を決めました。

テレビ制作会社で待っていた地獄の日々

超甘い考えで入社したテレビ制作会社で待ち受けていたのは、予想もしていなかった地獄の日々……。

写真はAD1年目の頃です。

ADとして一発目にやらされた仕事は、テレビの局員さんがオフライン編集する部屋の掃除でした。

男性ディレクターがこもりっきりだった3~4畳程度の狭い部屋はめちゃくちゃイカ臭く、カピカピになったエロ本や使用済みティッシュなんかを毎日片付けるところからスタート

そこから番組のリサーチ作業や深夜の買い出しなどの雑用をこなし、1日も休みがなく、家に帰れない日々が続きました。

しかもその当時はまだ殴られたり蹴られたりみたいな風習が残っていた時代で、先輩から殴られることも多々あり、地獄のようにツラい日々を送ります。

それでも自分はできると思っていたので、根拠のない自信を胸に仕事はめちゃくちゃ頑張っていたんです。

その結果、6年くらい経ってディレクターをやらせてもらえるようになりました。(※6年でディレクターになるのは制作会社でも遅い方)

ただ普通のADは「ディレクターになって、こんな番組が作りたい」「こういうことをしたい」という目標があってディレクターを目指すのに、僕はディレクターになること自体が目的だったんですよね。

だからディレクターになっても特に作りたいものはないし、惰性で仕事をしていて、その割にプライドだけは高いっていう・・・。ほんと人間的にクソでしたね。

若い頃から「こんなものを作りたい」という目標があった人たちは個性のある編集をして輝いていたりするんですが、僕の場合は演出をしても置きにいく感じで。

ちっぽけなプライドを守るために、勝負しないし挑戦もしないディレクターの作るものが面白いわけもなく、周りからもめちゃくちゃ怒られたりしていて、自分でも悶々としていた時期でした。

悶々としながら過ごしていたある日、担当していた特番の怖い先輩ディレクターから「お前の編集クソだな」とバキバキに怒られたんです。

何日も何日も怒られながら、修正を繰り返す日々が続きました。

そのストレスからか、左耳が突発性難聴になって聞こえなくなりました。

それから今度は原因不明で右目も見えなくなってしまって、眼帯をして過ごす日々に。

でもまあ、耳も目も片方ずつあれば意外とイケるなと思いながら働いていて。(その後、左耳も右目も治りました!)

仕事をする上で目標がなくて、ただ耐えるだけの仕事をしているうちに心がおかしくなって、うつ病になっていたのかもしれません。

「俺なんかクソだな」初めての自信喪失

精神的にも肉体的にもボロボロだった最後の1年。ある番組の総合演出と相性が非常にわるく、今考えるとめちゃくちゃ嫌われていました。

なんの工夫もない、ただ置きにいった編集で総合演出のチェックを受けると、普通のディレクターが2~3ページくらいの直しなのに、自分は10ページ以上の直しが当たり前みたいになっていました。

「明日の朝までに直せるよね」と言われても、そんな量を直せるわけもなく・・・。直せず怒られたり、キレられたり、自分の担当する回がつまらなすぎて、お蔵入りさせられたこともあります。

そんな日々が続いているうちに、完全に心が折れてしまい、仕事を辞めました。というか情けない話し、飛びました。一番最悪な辞め方をしたんですよね。

これまでの自信が粉々になってしまって、「ああ、もうホント俺なんかクソだな」と思うようになったんです。

仕事が忙しいことで、大学時代の友達などからの誘いも断っているうちに誘われなくなり関係も切れていたし、そういう部分でも堪えてしまって。

どんどん屈折していき、「俺なんかに働ける場所はない」と自暴自棄になっていたとき、1つの転機が訪れます。

よく行っていたバーの店長から、「新しくガールズバーをオープンするから、何もやることないなら働いてみない?」と誘われたんです。

ガールズバーで店長にまで上りつめる

誘われるがままに赤坂のガールズバー『ビヨンド』で働くことになり、半年くらいで店長になりました

「俺の居場所はここしかない!」という思いでシャカリキに頑張って働いたんです。死ぬほど酒を飲んで、お店のボトルがガンガン空になっていって。

そしたら半年くらい経った頃、お店のNo.1の女の子の売り上げを抜いて、僕が売り上げ1位になったんです。男なのに!!

学生時代にずっとキャプテンをやっていた経験も、店長として働く上で大いに役立ちました。

お店で働く女の子に対して、「ここはもっとこうしたほうがいいよ」など厳しくも的確なアドバイスができたし、面倒見がいい性格もあって、女の子たちもみんな僕についてきてくれたのは嬉しかったです。

テレビ制作の仕事をしていたときは、「俺が一番にディレクターになってやるんだ」という自己本位な考えしかできなかったし、「何でこんな仕事ができねーんだよ」とか人を罵倒することが当然で、気付いたら周りに人が誰もいなかった……。

でもガールズバーでお店を良くしようと頑張っていく中で、自分が頑張れば人がついてくるということを学びました

人としてクズだった自分が、やっと人間に戻れたと思った時期でした。

そしてそのころ出会ったのが、当時は映像制作プロダクション『AOI Pro.』で働いていた、現シングメディアの取締役、佐藤一樹。(と、安枝&Ben)

ある日の深夜3時半頃、お客さんがいないときに店の外で「ガールズバーいかがですかー?」と呼び込みをしていたとき、それを聞いた佐藤が即答で「行く!」と返事。それが僕らのファーストコンタクトでした。

お店に入ってもらうと、彼らからは制作系の空気がプンプン……。

「制作の人間だな」とわかり、話を聞いてみると、CMの制作をしているとのこと。

自分もテレビの制作をやっていたという話をしたことをきっかけに仲良くなり、同い年ということもあって急接近。

プライベートでもお店の女の子たちを含めてバーベキューに行くなど親交を深めていくことに。

そうしてガールズバーで働き始めて2年半くらい経った32歳~33歳のころ、店のオーナーと衝突したんです。

オーナーは自分のお店なのに女の子の管理もしないし現場にも来ない。その割に事件があると僕がこっぴどく怒られる。

ついにはオーナーと喧嘩になり、ガールズバーを辞めることに。

仲良くしていたお客さんたちに、店を辞めたという連絡をしていたとき、当時『AOI Pro.』を辞め、シングメディアを新しく始めていた佐藤にも連絡。

電話でガールズバーを辞めたと伝えると、即答で「うち来る?」と誘われてビックリ!

「ちょっと考えとくわ」と言ってはみたものの、特にやりたいことも見つからず。

2週間ほど考え、シングメディアのオフィスへ行ってみることにしました。

それが僕の人生にとっての第二の転機です。

「もう一度、映像に関わりたい!」シングメディアへ転職するも地獄

シングメディアのオフィスに行ってみて、「もう一度映像の仕事をやってみたい」「映像に関わりたい」という気持ちが芽生えました。

それにやっぱり、佐藤の存在が僕にとっては一番デカかった。

客としても店によく来てくれたし、プライベートでも親しくしてくれたし、その度量のデカさがいつの間にか僕の支えになっていたんです。

だからそんな佐藤のいる会社で「一緒に映像の仕事をしたい」「一緒に仕事をして何かを得られたらいいな」と思い、入社を決意。

でも実際にシングメディアで働き始めてみると……また地獄の日々でした。

テレビ制作の仕事とは全然ジャンルも違うし、制作の仕事から離れてから2年半のブランクがあって、何もわからない状態で。

それにテレビ制作の仕事をしていたときは振られる仕事をすればいいだけで、自分で仕事を取るという感覚もなかったんです。

仕事を何も取って来れないし、何も仕事ができない無力感。

田中さんや佐藤の言っている一般的なビジネス用語も8割くらいわからないから、都度わからない言葉をググったり、とにかくインプットしまくっていった。

入社してからしばらくはリハビリというか、もがきまくった時期でした。

そんな中でいろいろ仕事を振ってもらってチャレンジしていく中で、「YouTubeやりたい」と思うようになったんです。

YouTubeの料理チャンネル『たくや食堂』との出会い

テレビの番組制作に近いことをやってみたいなと思ったとき、たまたま当時一緒に『男子ごはん』という番組制作をしていたときに仲良くしていた放送作家・辻井宏仁さんから声がかかりました。

辻井さんから、「こういう話があるんだけどやってみない?」と言われたのが、YouTubeで僕が今やっている『たくや食堂』という料理チャンネル制作の仕事です。

たくや食堂 – YouTube

その話に「やってみたいです!」と応じたのが僕にとってのブレイクスルーになると思います。

「これをやっていくんだ」「これを絶対に成功させるんだ」という明確な目標ができてからは、他の仕事も好転していきました。

しかも嬉しいことに、『たくや食堂』を見たという方から、制作依頼のお話をいただいたんです。

もともと取引のあった大手広告代理店の子会社から、「たくや食堂みたいな感じで番組をやりたい」と言っていただいて。

営業も仕掛けていないのに『たくや食堂』を見た人から仕事の発注をもらえたということに、大きな喜びを感じました。

自分の思いがこもった『たくや食堂』が評価されたこと、1つの仕事から他の仕事へとつながっていくことは、すごく嬉しいことです。

佐藤がよく言っていた、「1つの仕事が横転換、縦転換してどんどん広がっていくことの楽しさ」というものを初めて実感できました。

いい仕事がまたいい仕事を生む。その嬉しさは格別です。

『たくや食堂』を通して映像の力を実感

収益化はまだできていませんが、『たくや食堂』を通して芸人さんなどいろいろな人とつながれたり、新たな仕事につながったり、やりがいはすごく感じています。

ある芸人さんと一緒に、「飲食店が営業開始するときにコロナ対策としてこんなことをやっています」というのをMV風にした、コロナ対策ソングムービーというものを作ったんです。

それを『たくや食堂』の出資元である「KayaGroup」の小山社長に見せたとき、泣いて喜んでくれたのには驚きました。

小山社長が30回くらい動画を繰り返し見て、「一生懸命作ってくれたことが嬉しい」「社員もこれを見てまた頑張ろうと思ってくれる」と言ってくださって。

それを聞いて、「自分の作ったもので喜んでくれる人がいるっていいな。これこそ、映像の力だな」としみじみ実感。

テレビ番組制作をしていた頃は、どれだけ多くの人に届けるかというのが大事でしたが、今はそれももちろん大事だとは思うけれど、自分の作ったものでクライアントさんなど関わってくれた人が喜んでくれることも大事なことだなと思うようになりました。

こうして映像制作の仕事にやりがいや喜びを感じられるようになったことは大きいです。

苦悩と共に体重が増加

僕は常にスクールカーストのトップで自分でもめちゃくちゃ自信があった学生時代を経て社会人になり、テレビ制作会社に入社して地獄の日々を送る中で完全に自信を無くしました。

でもガールズバーでひたすら頑張ることによって心を回復することができた。

ガールズバー時代は映像の世界から離れていたブランクの2年半ですが、自分にとって大事な時期。壊れた心を回復するのに必要な時間でした。

すべてが新鮮で、いろいろな業界の人と話ができた貴重な時間。クズ野郎だった自分が、やっと人間に戻れた時期でした。

変な話、夜の仕事で闇から出られたという感じ。

その結果、またシングメディアで映像の仕事ができるようになりました。

人生の苦悩と共に体重が増えていきましたが、その分、人間としての重みも増しているはず。

これからも人との出会いやつながりを大事にしながら、『たくや食堂』をはじめ、YouTubeを中心にガンガン映像制作の仕事をしていきたいと思っています!

WRITTEN BY
田口将伍(店長)

映像ベンチャー企業シングメディア4人目の男にして、肩書は店長。テレビ番組制作10年、ガールズバー店長2年半。プロレスと大相撲と総合格闘技、そしてボートレースが大好き。北九州という修羅の国から進撃してきた「金髪の巨人」。