はじめまして、シングメディアに2020年12月、“一人目の女”としてジョインした大中莉雪です。
私は女優として活動しながら、シングメディアでは経理・広報・制作進行の仕事に携わっています。
高校生のころから女優というお仕事をスタートし、紆余曲折を経てシングメディアでもお仕事をさせていただくことになり、忙しくてしんどいながらも刺激いっぱいの日々を送っています。
今回は、女優として活動する私がなぜシングメディアに参加するに至ったのか、自己紹介を兼ねてこれまでの半生を振り返りながらご紹介していきたいと思います!
父親は3人!? 複雑な家庭環境の中で憧れたのは「ファミレス」
出身は福岡県の北九州市。祖父と祖母がラーメン屋さんを経営していたので、小さいころからラーメンを食べる機会が多く、ラーメン好きな子でした。
今もたまに「服の色がヤバい」と言われますが、小学生のころはよく水色のパーカーを着ていましたね…。性格は活発めだけど、そんなに明るくはなかったです。今も「陽の中に陰がある」とよく言われますが、そんな感じ。さっぱりしていてドライです。
そして何より、小学生時代は引越が多くて、1年に1回は引越をしていました。だから転校も多くて、学校では友達と浅い付き合いしかできず、友達は少なかったです。
引越の理由は、家族が増えたり減ったりしたから。実は母がヤンチャな人で、3回結婚して3回離婚しているんです。現在は4回目の結婚を控えているほど、パワフルというか破天荒というか。
私はそんな母を反面教師にして、小学生ながらに「真面目に生きよう」「物事は慎重に選ぼう」と思ってきたので、その後もグレることはなかったです。
ちなみに私には兄と弟がいるのですが、3人とも父親が違うんですよ。私は2人目の父親の子どもなんですが、私が生まれる前に離婚したらしくて、本当のお父さんを全く知らないんです。
だから私を育ててくれたのは3人目の父親で、4年間育ててもらいました。「俺はお前の本当のお父さんじゃない」って言われたときは「えっ?」と思いましたが、私にとってはその人が本当のお父さんだと思っています。
当時、憧れていたのは「ファミレス」です。母が夜の仕事をしていて、家にコンロすらなくて、料理もできなかったので、いつも500円を渡されて、食事はほか弁だったんです。だから家族みんなでファミレスに行ってご飯を食べるということにとても憧れていました。
今でも回転ずしとかファミレスとか、家族連れで行くようなところに行くとテンションが上がります!
いじめられて辛かった黒歴史の中学時代
※中学時代の写真があれば挿入。
中学時代は引越があったものの、転校することなく、3年間同じ学校で過ごしました。
生活環境は落ち着いていたものの、中学では初めていじめられたんです。
モバゲーがすごくはやった時期で、みんなと同じように私も登録していたんですが、自分の本名でやるのが恥ずかしくて、名前を偽名に変えてやっていたんです。
そんなある日、学校で携帯がなくなってしまって。探したけれど見つからず、先生に打ち明けたら夜になって、「トイレのゴミ箱の中から見つかりましたよ」と連絡が来ました。
どういうことかと思ったら、私の携帯を隠した子が自首してきたらしくて。ボス格の子から頼まれてやったそうです。
モバゲーで誰かが私の「莉雪」という名前のアカウントを使ってみんなの悪口を書いていたそうで、ボスから「本当にあいつがやっているのか、携帯を見ろ」と命令されたということでした。
でも私は「かりな」という名前で登録していたので、「あいつじゃなかった」ってことになって、携帯がゴミ箱に捨てられたというわけです。
私になりすまして学校中の人の悪口を書いていた人がいたせいで、私じゃないって言っても噂を信じてしまう人も多くて、友達がキュッと狭くなりました。
だから中学時代は黒歴史で、全然楽しくありませんでした。
女優の道へ! 人生の転機となった高校時代
※高校時代の写真があれば挿入。
高校は受験して商業高校へ。中学と違って高校は楽しくて、「人ってこんなに優しいんだ!」と感動しました。今でも高校時代の友達とは仲良くしています。
私が事務所に所属して、女優業をスタートさせたのも高校時代です。
そもそも女優を目指したのは小学3年生のときで、テレビでやっていたドラマ『奥様は魔女』を見たのがきっかけ。
ドラマの主人公が魔法の力でタワマンに住んでいるという設定で、そのタワマンの中に螺旋階段があったんです。それを見て、「テレビの中に入れば、こんな家に住めるんだ! 私も螺旋階段がある家に住む!」と思ってから、女優という仕事に興味を持ちました。
ただ母になかなか「女優になりたい」と言えず、やっと小学校の終わりくらいに「女優になりたい」と言ったものの、すごく反対されました。「ふざけんな、無理だよ」って。
それでも諦めきれず、中学3年のとき、「東宝シンデレラオーディション」を受けて2次まで残ったんです。でも落ちたのが悔しくて、その後はオーディション雑誌に載っている、アイドル系以外の事務所すべてに書類を送りました。
それがきっかけで、ある事務所から連絡をもらい、高校1年のときに所属が決定。母もそのころには、「いろいろ迷惑をかけてきたから自由にしていいよ」と言って、喜んでくれました。
それからは学校に秘密で、オーディションのたびに東京へ行く生活。ただ東京まで往復で1回3万円くらいお金がかかるので、そのお金を貯めるためにバイトばかりしていました。
牛丼屋や中華のチェーン店、ラーメン屋、ピザ屋、ドーナツ屋などなど、いろいろかけもちもしましたね。バイト代で月15万円くらい稼いでいました。当時の時給は700円くらいだったので、月210時間くらい働いていましたね。
高校に通いながらオーディションを受ける生活が続き、転機となったのが高校2年の終わりごろ。事務所から、舞台が決まったと連絡をもらったんです。
それを聞いて「じゃあ高校を辞めて東京に行く!」と即決しました。
あと1年で高校卒業というタイミングだったこともあり、高校を辞めることは事務所の人も含めて周りから猛反対されましたが、私としては舞台の仕事に専念して目の前にあるチャンスを掴みたかったんです。
高校を辞めて上京したものの…女優業は甘くなかった!
周囲の反対を押し切って、高校3年の春、学校を辞めて東京へ。母と二人で上京して一緒に暮らしていたのですが、母は東京になじめず半年くらいで九州へ帰ってしまったため、そこからは一人暮らしに。
女優としてのお仕事をちょこちょこしながら、26歳ごろまで、ずっとバイト生活でした。カフェやラーメン屋、ホテルの配膳などいろいろやりましたね。
そんな中でも、「東京で高校を卒業する」という事務所や母との約束もあり、19歳のころに1年間、通信制の高校に入って無事卒業。約束はきちんと守りました。
肝心の女優業はというと、ドラマなどの仕事もありましたが、アイドル系の舞台が多くて…。理想と違う方向性に進んでいってしまうと思って、不安が大きくなっていきました。
やりたい仕事ができないのが嫌で、24歳のときに7年間お世話になった事務所を辞めて、フリーで活動するようになりました。
だけどフリーだとなかなか仕事ができなくて、大変でしたね。
「やりたい!」と思ったら即行動! シングメディアとの出会い
シングメディアに入ったのは、2020年の12月。フリーでの活動を経て、新しい事務所に所属したばかりのころです。
※シングメディアに入ったころの写真または映画関係の写真があれば挿入。
そもそも私がシングメディアを知ったきっかけは、私が主演を務めた映画『漂流ポスト』の監督、清水健斗さん経由です。
映画をきっかけに年に1度くらいの頻度で清水さんと一緒に仕事をするようになって、その仕事でカメラマンとして入ってくれたのが、シングメディアのグループ会社であった「ホワイトフィルム」の川口さんでした。
そこで知り合った川口さんと安枝さんにシングメディアの忘年会に呼ばれて、初めてシングメディアという会社の存在を知ったんです。
実際に忘年会に行ったときの感想は…「すごいギラギラした場所でやってるなぁ」でした。「渋谷の地下室だし、怖い! めちゃめちゃ怖い人たちだなぁ」と思っていました。
でもそこで出会った間地さんと飲み仲間になって話を聞くうちに、「シングメディアって会社はおもしろいんだな」と思うように。
Twitterの「#今日のシングメディア」というタグや一樹さんのTwitterなども見ていて、「シングメディア、なんかおもしろいことやってるな」「いいなあ、楽しそうだな」と興味が湧きました。
そんな中でタイミングよく呼ばれて行ったのが、シングメディアが開催した間地さんの誕生日会です。
みんながカラオケで歌っている中、田中さんを外に呼び出して、「シングメディアっていいですよね」と伝えました。
そしたら田中さんはいつもみたいな調子で、「うち、来る?」と。「軽っ!」と思いましたが、翌日には一緒に飲みに行くことに。
そこで私が商業高校出身で簿記ができたりExcelが得意だったりすることを話したら、経理にスカウトされました。ちょうど経理の仕事ができる人を探していたらしくて、いいタイミングでした。
そのとき働いていたところはすぐに辞め、次の月からシングメディアに。私は「やりたい!」と思ったら、即行動しちゃいます。決断が早くて行動力があるのは取り柄ですね。
シングメディアで経理・広報・総務・制作進行の仕事を経験
2020年12月にシングメディアへ入り、2021年の年始には経営合宿に参加。
入社直後は経理として働いていましたが、広報・総務の仕事も兼任するように。最初はやること・覚えることが多くて大変でしたが、慣れると逆に時間が余ってくるようになり、もやもや。
どういう経緯で請求書が来ているのかもわからないし、経理の仕事をただ処理するだけのマシーンになったような感覚で、楽しくないなと感じてもやもやしていました。
慣れてから半年くらいはもやもやしていたんですが、9月になって初めて現場で制作進行の仕事を任されて、意識が変化。
スタッフさんと密に連絡を取らなければならなかったり、ミーティングの設定なども自分でやらなければならなかったりして、今までの経理とは全く違う仕事でした。
経理もやりつつ制作進行の仕事をしていたので、けっこう忙しくて火を噴いていましたが、現場を知ることができたりスタッフさんとコミュニケーションをとることができたりするのは大きくて。それが経理の仕事にも生きてきたんです。
請求書一つとっても、どういう経緯でそれが出てきているのかとかがわかるようになって、経理の仕事にも興味ややりがいが持てるようになりました。
とはいえ、9月、10月、11月と、今も経理の仕事と制作進行の仕事をやっているんですが、もやもやすることもあります。
2つの仕事を並行してやることによって、経理が最低限のことしかできていなくて、おろそかになっているんじゃないかなと心配になったり、働く時間が長くて体調的にもしんどかったりするんです。
ただ、「しんどい」ということをきちんと言える、相談できる環境、というのが救いではあります。
しんどいけれど女優業とも両立できているし、いろいろな経歴を持った人が集まっているから楽しいし、いろいろな視点で物事を発信する人が多いから刺激的で新鮮なのもシングメディアのいいところです。
それに、「これはやりたくないです」というのもきちんと拾ってくれる会社。みんなもポジティブで、「やりたくないならやらなくて済む方法を見つければいいじゃん」みたいな感じで。
でも私はやりたくないことも我慢してしまう性格なので、みんなみたいにポジティブに、少しずつやわらかい考えを持った人になっていきたいなと思っています。
いろいろ経験する中で明確になった目指す方向
経理や広報、総務、制作進行とさまざまな仕事をしてきた中で、振り返ると一番やりがいを感じた仕事が、企画の仕事でした。
シングメディアに入って4か月後の2021年4月、ZaPASS JAPAN、Voicy、THINGMEDIAのベンチャー3社による「合同入社式」があったんですが、そこで私は仕切りやMCを担当したんです。
参考:ZaPASS JAPAN、Voicy、THINGMEDIAのベンチャー3社で合同入社式を開催・配信しました。@THINGMEDIA STUDIO
外部の人たちと連絡を取ったり、打ち合わせをしたり、新卒のみんなにどんなものをプレゼントしたら喜んでもらえるか考えたり、初めて自分が主導で動いたのが、合同入社式でした。
いろいろやることがあったものの、それがすごく楽しくてやりがいを感じたし、みんなから「めちゃめちゃ良かったよ」と言ってもらえるのが嬉しかったです。ほかの会社とも、合同入社式を通してつながっていけるのも楽しくて。
そんな合同入社式での経験から、私は自分でゼロから考えてカタチにしていく企画の仕事がワクワクして楽しいなと感じたので、これからも企画に関わる仕事をもっとしていきたいなとも考えています。
人から「やっといて」と言われて滞りなくこなしていく仕事より、自分で生み出す仕事がしたい。発信側にいきたいなっていうのはあります。
100%大中色を目指したい! 私がシングメディアでこれから進む道
自分自身のこれからの目標としては、もちろん女優としてやっていきたいというのが一番です。
でもそれだけじゃなく、もともと「女優業と両立できる肩書がもう1コ欲しい」「自分が楽しいと思って働ける仕事がしたい」と思ってシングメディアに入ったので、シングメディアでは企画とか、作品として何か残せる仕事がしたいと思っています。
商品開発とかにも携わりたいです。それに付随するCMなどもああしたい、こうしたいと考えたいし、これからはそういう仕事もできたらいいなと思います。
世の中に自分の存在を刻みたい、自分から何かを発信して生きた証を残したい、という感じです。
私はわりと感情表現が苦手なので、これからはもっと「私はこうなんだ!」というように自分の色を出せるようになりたい、色のある人になりたい、自分の色を出せる作品をつくっていきたいと思います。
作品を見た人が、「あ、これは大中さんの作品だ」と思うような、ハッキリした色。「100%大中色」みたいな人になりたいです。
シングメディアという会社に対しては、やっぱりみんながそれぞれに自分の色を出せるカラフルな会社になっていったらいいなと思います。
シングメディアにいる人たちって、みんな自由だしワガママだし、公園で遊んでいる子どもみたいに無邪気なんです。
だからこれからもみんなで同じ方向を向いてはいるけれど、それぞれが自由に、自分の色を出して、遊び心を大事にしていける会社であってほしいなと思います。
いろいろ冒険させてくれる会社なので、みんなでおもしろい方向へ進んでいけたらいいですね。
シングメディアでは一緒に働く仲間を募集しています
映像制作、ライブ配信、イベントプロデュースなどを手がけるTHINGMEDIA株式会社では、現在以下の職種を募集しています。
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