シングメディア・間地浩晃のコラム

「ここでスペシャリストになる」腸が塞がるほど傾倒した映像制作に疑問を抱いていた間地浩晃が、”配信王”として新規事業の柱になるまで

はじめまして、シングメディアの配信王・間地浩晃です。

配信王と名乗っているとおり、僕はシングメディアのライブ配信代行事業を担う配信エンジニアとして仕事をしています。

ライブ配信は、一発勝負。リアルタイムで、スピーカーの熱を画面越しにいるたくさんの視聴者に届けるために、配信を支える技術に関しての豊富な経験と知識を要します。(若干盛ってます)

現在、人が集まれないというご時世もあり、有難いことに毎日のようにライブ配信の現場で、誰かの想いを伝える手伝いができています。

でも、実は、僕がライブ配信代行事業の柱となったのはつい数か月前のことなんです。そもそも、映像制作会社であるシングメディアの中でも、新規事業に位置づけられる新しい挑戦でした。

僕はずっと、映像制作の仕事をやってきました。ただ、「RADWIMPSの野田洋次郎さんとお酒を飲む」という夢だけを追っかけて。

この記事では、僕が、ライブ配信のプロフェッショナルを目指すまでに至った半生をお話したいと思います。

岡山県生まれ、中肉中背、成績ふつう、特徴のない幼少期

僕は岡山県高梁市という田舎に、三人きょうだいの真ん中として生まれました。「間地」という名前は珍しいので、それでいじられることはあったものの、それ以外にこれといった特徴のない子どもでした。

小学校の頃からサッカーをしていて、その後もずっと続けるのですが、それで推薦入学したり、プロになったり、ということもなく…とにかく「普通」という二文字が似合う人間だったんです。

成績も中の中、スクールカーストも中の中、可もなく不可もない学生生活を送っていた中学2年生の時、最愛のものと出会います。それが、RADWIMPSです。「SPACE SHOWER TV」で『ふたりごと』という曲を聴いた瞬間、その曲の全てが当時の自分の心に突き刺さってきました。

野田洋次郎さんと飲みたい

大学は、「岡山県を出たい」という理由で、京都産業大学に進学しました。大学生らしく飲みサーに入り、大学生らしくバイトして…そんな日々を送ります。やがて就職を意識するようになり、ぼんやりと「地元の銀行にインターンへ行くかあ」なんて考えていました。

その頃、意識の高い大学生が集まるFacebook上のコミュニティに出会います。月額1万円でクローズドな飲み会に参加できるもので、そこで出会った人たちと自分たちの未来についても熱く語り合っていました。

同年代の人たちの夢を聞き、「自分はなにがやりたいんだろう?」ときちんと向き合うようになります。人に話したり、ひとりで紙と対峙してやりたいことを書き出したり…そうして明るみになったのが、「RADWIMPSの野田さんと飲みたい」という願望でした。

そのためには、彼と仕事上でもいいので接点を作らなくちゃいけません。「MVを撮る仕事なんか面白いんじゃないかな」と思い、実際にRADWIMPSのMVを撮影している人を調べます。映像作家の島田大介さんの名前にたどり着き、彼がCM制作もしていることを手掛かりに、映像制作会社をピックアップ。その中から3社にエントリーしました。

最初に内定をくださったのが、新卒で入社した広告映像制作で有名な映像プロダクションです。ここまで平々凡々だった僕の人生が、映像制作の世界に足を踏み入れたことから一気に加速していきます。

トラブルを起しまくり、腸が塞がり、不夜城に送られる

大手映像制作会社は、ふたつのオフィスを構えていました。それぞれのオフィスには雲泥の差があり、ひとつが「会社」なら、もうひとつは「部室」。部室のオフィスでは眠れないことから、不夜城と揶揄され、配属を恐れられるような場所だったんです。(※個人の見解です。)

そういったことは入社前の研修から耳にしていたので、どきどきしていたものの、僕は運よく「会社」配属になりました。「これで安泰だ」と思っていたのも束の間、教育係になった先輩から急に「お前に地獄を見せるから」と言われるなど、人間関係に暗雲が…。

先輩との関係は終始ぎくしゃくし、とにかくウマが合いませんでした。僕の言動が全て、先輩の怒りに触れてしまっていたんです。大都会に上京したばかり、慣れない仕事に、怒鳴られる毎日。おそらく、そのような環境にストレスを感じていたんでしょう。配属2か月目の7月17日、CM撮影の仕事が始まる前に、急に腹痛が襲ってきました。

最初は「お腹が空いているだけだろう」と楽観的に考え、食事をとったのですが、すぐに吐いてしまいます。これはやばそうだ、と体感し、撮影を抜けさせてもらってすぐに病院へ。医師からの診断は「腸閉塞」。ストレスによって腸がねじれてしまっていたそうです。手術は免れましたが、そのまま1週間の入院生活となりました。

退院後、撮影の際に出演したモデルさんが着用していた衣装のクリーニングを頼まれました。その衣装をクリーニング後に執務室に置いていたところ、事件が起きます。

5日程経った頃、先輩に「あの衣装どうなっている?」と聞かれ、「執務室に置いてあります」と答えたのですが、そこに衣装はありませんでした。撮影は終わっていたものの、記者会見では同じ衣装を着る必要があったのです。つまり、絶対になくてはならない衣装でした。

そこで会社中のゴミ箱や社員のロッカー、備品が置いてある倉庫、ゴミ集積所など思いつく限りの場所は探しました。必死で探しました。本当に探しました。けれど、行方不明になった衣装はどこにもありません。結局、記者会見用に新たに衣装は作り直してもらえることに。申し訳ないな、と思いつつ、お役御免になった僕は、別の仕事に取り掛かっていたのですが…。

「お前、なにやってんの」と先輩に声を掛けられます。「資料探しをやっています」それに対し、先輩の口から「いや、衣装探せよ」と聞きたくない言葉が…。

それから1か月は、もう必要のなくなった衣装を探すためだけに毎日出社し、何時間も何時間も、すでに何度も確認した場所を見て回りました。別の仕事をしていたら、当然のように「衣装を見つけろよ!」と怒られるため、それしかできません。倉庫に行って、なにもせずじっと座っているような日々が続きました。(※正直、記憶がありません。)

そんな鬱々とした新人時代の転機になったのが、あの、誰からも恐れられていた不夜城送りでした。

現COO・佐藤一樹との最悪な出会い

あるわけない衣装を探す(フリをする)という日々を過ごし、会社配属から半年が経った頃、不夜城に異動になったんです。「エグイ」「帰れない」と噂され、誰もが嫌がるオフィスでしたが、衣装探しの毎日から解放されるならと、僕だけは喜んで行きました。

そこで配属されたのが「M部」。その部にいたのが、現在シングメディアで一緒に働いている佐藤一樹さん。第一印象は最悪でした。本当に、最悪でした。配属初日、一樹さんへの挨拶に伺ったとき、彼は僕にちらっと視線を移しただけで、すぐに元の作業に戻ってしまいました。ほぼ、無視。「なんてところに送られたんだろう…この人の下でやっていけるのだろうか…」その後、歓迎会できちんと話ができたものの、最初はあまりの冷やかさに衝撃を覚えるほどでした。

その後、M部の中でも、更に細かいチーム分けが行われます。売上が高い天国チームと、売上が低い地獄チーム。僕は、一樹さんのいる地獄チームに組み分けされました。そこから、日の目を浴びない地下での生活が始まります。不夜城の名に恥じない忙殺具合で、家に帰れないどころか、お風呂も入れず、僕の寝床はパイプ椅子3つの上。それが当たり前と化していきました。

掃き溜めで出会った最低で最高の仲間たち

先輩との確執、腸が塞がる、幻の衣装探し、ガチ不夜城生活…と、それまで普通な毎日を送っていた僕の、ちょっとズレた社会人生活も、2年目に突入。同時期、大手映像制作会社に新しく「H部」が設立され、僕もそこに異動になったんです。そこは通称「掃き溜め」と言われていました。会社内のお困り者たちの寄せ集めだったんです。そこで出会ったのが、現在の同僚になる安枝、Benでした。

掃き溜めで2年目を過ごし、3年目、大きな案件に携わらせてもらえるように。「筆頭制作」と呼ばれ、某大手自動車会社の名作CMを手掛けるようになったんです。日々地獄でしたが、やりがいも感じるようになっていました。。

仕事では成果を出し始め、プライベートも充実、スタートダッシュこそ不安定だったものの、順調な歩みだったと思います。一樹さんともずいぶん距離が縮まり、喫煙所で「まじで誰にも言わないでくださいねた」と前置きしていた話が一瞬にして職場中に広がってるなんてことも多々ありました

一樹さんのスピーカーっぷりに衝撃を受けつつ、日々充実していて…と思ったのですが、そうそう物事はうまく運んでくれないみたいで。右肩上がりだったモチベーショングラフが、一気に急降下する出来事が起きます。

何もかもを失う、暗黒期に

仕事が波に乗って、大型案件を担当していた僕は、金運も上々。 しかし、そんな時にプライベートで悲劇はおきました。(ここの話は割愛します。詳細は弊社人の悲劇話したがり担当安枝までご連絡ください)

この辛い時期を支えてくれたのが、一樹さん、Ben、安枝…今の仲間たちです。当時は、誰かと話をしていないと心が壊れそうなほど追い込まれていました。Benとは「犬猿の仲」と評されるほど、仲が悪かったのですが、オフィスでふたりきりのときに熱心に僕の話に耳を傾けてくれて「いいやつなんだな」と気付くことができました。一樹さんや安枝も、落ち込む僕を「飲みに行こうぜ!」と誘ってくれて…あのときは本当にみんなに救われましたね。

同時期に、もうひとつ、自分の人生を揺るがす出来事が起こります。一樹さんの退職です。

一樹さんは、2016年に日本アド・コンテンツ制作協会主催の「JAC AWARD 2016」というアワードのプロデューサー部門で最高賞になる「プロデューサー・オブ・ザ・イヤー」を受賞するなど、人柄だけではなく仕事でも尊敬できる大好きな先輩でした。

でもひとつだけ、ちょっと困った部分があって。それが原因で謹慎処分になってしまったんです。そこで一樹さんも、挑戦する拠点を変えることにしたのでしょう。「中学時代からの友人と起業する」と聞かされました。そして、退職。

世界一の一樹っ子と言っても過言はない僕の心にはぽっかりと穴が空いてしまいました。仕事ではもちろん、プライベートでも長い時間を共にしていた憧れの先輩がいない会社。いままでとは、会社での見える景色が180度変わってしまいました。当然、モチベーションは一気に落ちます。入社して5年目のことです。

一樹さんの退職をきっかにし、自分の仕事について向き合うようになりました。5年の間に、様々な案件、様々な部署を経験し、花形と呼ばれる部でも働かせてもらいました、が…。段々と「どの部も変わらないんじゃないか。そもそも、僕は制作やプロデューサーがしたいわけじゃないのでは?」という気持ちが湧きあがってきたんです。RADWIMPSの野田さんと飲みたいという理由で入社しましたが、このままでは一生を掛けても飲めんし、心のどこかで誰かの顔色を伺って働いている感じがし、そのまま死んでも良いのかと自問自答の末…。

色々なことがありファッション関係の仕事に転職することになります。2019年6月、27歳で大手映像制作会社を去ります。

「え?シングメディアじゃなくて、ファッション関係にいったの?」と思いますよね。この時は、一樹さんとばかりいてもダメだろう、なんてことを思っていました。一樹離れをしないとこれ以上の成長はできないんじゃないのか、なんてことを。結末はお分かりの通り、この転職は失敗してしまうんです。

そして、シングメディアに

転職した会社では、オンラインサロンの立ち上げに関わったり、デザイナーとの打ち合わせをしたり、企画営業の資料を作成したり…いままでとは違った仕事をしていました。すぐに違和感が芽生えます。辛かったわけではないのに、「なにかが違う」という居心地の悪い気分。会社側の経済的な事情も重なり、3か月で辞めることになりました。

「今後はフリーで制作をやっていこう」と思って、それまでお世話になった方たちに挨拶の連絡をしていたんです。そんな中で、一樹さんから、「うち、めっちゃ仕事あるから来い」と言われ、2019年9月にシングメディアのメンバーになります。

ファッション関係の仕事をする、と言って大手映像制作会社を退職した手前、「言っていることと違うじゃん」と批判されたこともありました。それでも、シングメディアにジョインすることへの迷いは不思議となかったです。気になることと言えば、安枝とBenの後輩になる、ということくらい。「絶対アイツら、先輩マウントとるだろなあ」と思っていましたが、案の定、日々そんな感じです(笑)

入社後は、企業のサービスの紹介映像や、マンガのイメージMVの制作などを担当しました。大手映像制作会社で働いていた時よりも生活が整って、満足していたものの、「あの時、制作じゃないと思っていたのに、結局は制作やっているな…」ということに、正直、悶々としていたんです。

緊急事態宣言発令、会社のピンチが僕の転機に

2020年、オリンピックイヤーを迎え、スポーツ関係の映像制作の相談がシングメディアにも寄せられていました。これから忙しくなるぞ、というわくわく感が社内で膨らんでいたように思います。そこから一転、コロナウイルス感染拡大予防のための行動制限により、「密」状態が避けられない撮影現場は軒並みストップ。さらに、オリンピック開催が危ぶまれ、予定されていた映像案件が次々と、延期という名の中止になります。

そこで、新規事業としてライブ配信代行サービスの提供がスタートしました。なぜか一樹さんに突然、「お前は配信王だ」と言い渡されたんです。「配信王、って、なんだこのネーミング、クソダサいな」と思ったのと反対に、胸には嬉しさが押し寄せました。

シングメディアにジョインし、気心の知れたメンバーと働くことは楽しかったものの、ずっと、自分で仕事をひとつもとれていない現状に劣等感を抱いていました。「これだ!」と自分で思える仕事も、自分で誇れる強みも、なにも持ってなかったんです。そんなときに、急に渡された「配信王」という明確なポジション。やるべきことが見えて、明るくなったような気分でした。

スペシャリストの道を行くだけ

新規事業を立ち上げ、すぐに十数件の依頼が舞い込みました。ライブ配信は、「映像を届ける」という大枠は同じだったとしても、やるべき仕事は全く異なります。毎度、編集もリテイクもきかない一発勝負の仕事にヒリヒリする思いです。でも、楽しい。原因不明なトラブルも、予想外のハプニングも、臨機応変に切り抜けて、現場をひとつひとつ重ねるごとに、成長を実感しています。そして、「ライブ配信のスペシャリストになるんだ」という決意が固まっていくように感じているんです。

学生時代の僕は、別に映像に魅力を感じていたわけでもなく、「RADWIMPSの野田さんと飲みたいなあ」というただそれだけでした。そこから出発して、いまは、映像の中でも、ライブ配信を極めるんだと、やっと、自分が自分の足で歩んでいきたい道が見えました。

大学卒業までの18年間を、安全で平坦な道を歩いてきました。社会人になってからの10年間は、ずっとジェットコースターに乗っているような気分です。でも、今、一緒に乗っているメンバーのこと、本当に大好きだなって思えるので、ずっと笑ってられます。Benと安枝からのマウントも、全然へいきです(笑)

配信王として、日本で一番クオリティの高い配信を届ける技術者になります!そうしたら、巡り巡って、野田さんにも辿り着けるかも。一緒に飲んでいるときに、「今度、新曲でるからさ、間地がMV撮ってよ」なんて言われたいですね。そうしたら、喜んで引き受けます。シングメディアには、最高の仲間がいるんで大丈夫です。絶対にいいもの撮って、RADWIMPSのこと好きなだけしか特記するようなことがなかった過去の自分に、「僕の仕事と、仲間、すごいだろ!」って言ってやる。

WRITTEN BY
間地浩晃

まじ a.k.a.配信王〜Road to THE KING OF BROADCASTING〜
LIVE配信の王を目指して日々奮闘中!! RADWIMPSをこよなく愛する。