製作国:アメリカ
上映時間:97分
監督:ロブ・ライナー
脚本:ジャスティン・ザッカム
音楽:マーク・シェイマン
出演者:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、ロブ・モロー、ビバリー・トッド
あらすじ:
仕事に人生をささげた大富豪エドワード(ジャック・ニコルソン)と、家族のために地道に働いてきたカーター(モーガン・フリーマン)は、入院先の病室で知りあった。共に余命は6か月。やりたいことをすべてやり尽くそうと決意し、無謀にも病院を脱出。“やりたいことリスト”を手に、さまざまなことに挑戦する。
『最高の人生の見つけ方』予告編
『最高の人生の見つけ方』シングメディア編集部レビュー
例外なく、この世に生きる人すべてにいつかは訪れる“死”という名の道。
ただ、これまでの人生では抽象的な存在でしかなかった“死”の一文字が、突然、目の前に現実として迫ってきたら、果たして私たちはどのような選択肢をとるのでしょうか。
2007年にジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンのダブル主演で公開された「最高の人生の見つけ方」は、身近でありながらも遠い存在である“生と死”について考えさせられる作品。
同時に何かと生きづらさを感じる今の世の中で、不安や悩みに押しつぶされそうになったときにこそ、二度、三度と鑑賞して、改めて生きるとは何かということを考え直したい一作でもあるのです。
「最高の人生の見つけ方」の二度見ポイント1:“死”を目の当たりにした瞬間に見えた登場人物たちの素顔
今作は自動車整備工を生業とするカーター(モーガン・フリーマン)と、大金持ちの実業家エドワード(ジャック・ニコルソン)が病院で出会い、余命宣告を受けたのち、「残りの人生をどのように生きるか?」と考えはじめる部分から物語がスタートします。
とはいえ、突然、残りの人生があとわずかであることを告げられ、「はい、わかりました」とすんなり受け入れられる人などいないでしょう。
実際、今作でも余命宣告を受けた際、主人公や家族たちは強い悲しみや絶望の表情を見せるのですが、その瞬間の反応が人によって大きく違ってくるのです。
冷静に“死”を受け入れたかのように見えて受け止めきれないカーター
勤務中に病院からかかってきた電話で、自身の病状(ガン)を知らされたカーター。表情には出さないものの、一気に体全体の力が抜けてしまったのか、手に持っていたタバコは指先から滑りぬけるように落ちていき、もう片方の手で電話の受話器も持っていられないほどの脱力感に見舞われます。そして一切表情を変えぬまま、ただただ、職場を後にしていくカーター。
その後、入院したカーターはというと大好きな本やクイズ番組を見たり、お見舞いに訪れる家族との時間を過ごしたりと、一見、自分の残り少ない余命をすんなり受け入れたかのように見えるのですが……。
しかし彼を見ていると、終始、おだやかな表情を見せながらも、目だけはうつろな状態。また後にエドワードとの会話からわかる通り、死を受け入れようと自分に言い聞かせているものの、本心ではまだ自分の死をどこか他人事のように見ていて、向き合うことができていない心境であることがわかります。
そんなカーターを見ていると、死が目の前まで迫ってきたとき、悲しみや怒りを表に出し、大きく動揺を見せる人のほうが自分の死を受け入れることができない状態であるかのように見えますが、実際は、カーターのようにただ静かに現実を受け入れたかのようにふるまっている人のほうが、誰よりも「これが夢であってほしい」と死を受け入れることから目をそらしている。
彼の言動の節々からは、ふとそのような憶測をしてしまうほど、いかに“死”が恐ろしい存在であるかを強く実感させられます。
どうせ死ぬなら最後まで楽しもうと自分らしさを突き通したエドワード
絶望から本心を見せなくなったカーターと同じ病室にやってきたエドワード。
彼はというとカーターは正反対で、入院直後から医師や看護師に暴言を吐き、病室内でもとにかく大暴れ。おまけに入院中も抗がん剤を打っているにもかかわらず、お気に入りの店からデリバリーした高級料理を食べては、深夜に吐き気に見舞われるという自業自得ぶりを見せる始末。
しかしそんなエドワードにも、ついに余命6か月であることが医者から宣告される日がきます。
それ以来、相変わらずの皮肉ぶりは変わらないものの、人が変わったかのようにおとなしくなり、ひたすら抗がん剤の副作用に耐える日々を送るエドワード。
そしてついには吹っ切れたかのように、「生きている間にやりたいことを全部やりきる旅に出よう」とカーターを誘うまでになったのです。
これまでの人生、4度の結婚に失敗し、仕事だけが生きがいだったエドワード。彼のもとにはカーターのように見舞いに訪れる人もいない。そして莫大な資産は残っているものの、死んでしまえばお金など意味がない。
そんな自分の人生を振り返る日々を送る中で、エドワードの中にある何かが吹っ切れたのかもしれません。
また彼の性格的にも、寂しい病室でひたすら死を迎える日を待つよりも、最後くらいは派手に遊んで人生の幕を閉じたいというポジティブな考えのほうが症に合っていたのでしょう。
“死”と一言だけ聞くと、単純に恐ろしい存在に感じる人が大半である中、エドワードのように真正面から死を受け入れ、どうせなら最後まで悔いの残らないように生きてやる! といった考え方は、実際には難しいことかもしれませんが、理想の生き方のひとつであるといえるかもしれません。
夫の死に対してどう向き合うのが正解なのか悩み続けるバージニア
おそらく“死”という現実に直面した際、大半の方が同じ心境に陥るであろうといえるのが、カーターの妻であるバージニア。
夫の余命が残りわずかであると知った瞬間、何とか彼の病気を完治させたいという一心から、別の病院の医師に連絡をとろうとするなど、動揺を隠せない言動を見せます。
もちろん、エドワードと一緒に世界中を旅するという計画にも大反対。まあ、当然といえば当然ですよね。愛する夫とあと何日一緒にいられるのかわからず、一日でも長く一緒にいたいと思う自分の気持ちなど無視で、「最後くらいは好きにしたい」と言い張る夫がいたら、心配を通り越して幻滅してしまう気持ちも。
それでもバージニアは旅行中のカーターを心配してエドワードに電話をかけたり、帰宅した彼を喜ばせようと子どもや孫たちを呼んで家族団らんの時間を過ごしたりと、最後の最後まで彼に尽くしました。
そんなバージニアの姿からは、夫の死を受け入れたものの、本音を言うと延命治療でも何でもいいから、一日でも長く生きていてほしい。ただ、彼の意見も尊重したい。自分が何をすれば一番彼のためになるのか。といった答えのない疑問を頭の中で繰り返すばかり。
おそらく私たちも大切な家族に“死”という現実が訪れたら、誰もがバージニアのように何が正解で何が間違いかわからない状態で苦しむことになるかもしれない。
バージニアの言動からは、張本人とはまた違う“死”という現実の受け入れ方にどう向き合うべきか? ということを深く考えさせられます。
“死”に対するそれぞれの心境に注目するとさらに感情移入できる
一言で“死”といっても、その現実に対して見せる反応は人それぞれ。
カーターのように静かに受け入れたかのように見せつつも、実際は受け止めきれない人もいれば、エドワードのように吹っ切って、最後の最後まで人生を満喫してやると前向きに切り替えられる人もいる。
今作は余命を告げられた登場人物たちの最期までを描いたストーリーが軸となっていますが、その中で彼らが“死”に対してどのように向き合い、変わっていくのかという様子や変化に注目しながら鑑賞してみると、二度見はさらに彼らの心境に感情移入しながら見ることができるかと思います。
「最高の人生の見つけ方」の二度見ポイント2:雑学王カーターのうんちくが意外と役に立つ?
“生と死”が大きなテーマである今作ですが、その中でテーマに関係なく、たびたび登場していたのがカーターの膨大な雑学力。
正直、作品自体には一切関係のない内容ばかりで、“カーターはさまざまな知識を持つ男である”というキャラクターを植えつけるためだけの演出であったかもしれないのですが……。
しかし、カーターが語る雑学(うんちく)をよく聞いていると、意外と勉強になることもたくさんあるのです。
カーターの大好きなクイズ番組の内容に注目
入院中でも旅先でも、お気に入りのクイズ番組を見て、出演者より早く回答することをもっぱらの楽しみにしていたカーター。それがたとえエドワードとの会話中であれ、会話をしながら、合間に回答をするほどの熱中ぶり。
しかしよく問題を見てみると、出されるのは政治や歴史的な問題から、『セサミストリート』といった子ども向け番組に関する問題まで。多様多種な問題が出題され、そのすべてにカーターは出演者の誰よりも早く答えているのです。
初見ではエドワードとの会話に聞き入っていたため、クイズの内容をあまり見ていなかった方も多いはず。でもよくよく聞いてみると、知っているとちょっと得しそうな雑学が満載の内容となっているのです。
二度見ではエドワードとの会話はちょっと置いておき、あえてカーターが鑑賞しているクイズ番組の問題と答えに注目して見てはいかがでしょうか。もしかすると日常生活の中で人とのコミュニケーションに使える雑学をインプットできるかもしれませんよ。
知っていて損はない雑学はまだまだある!
カーターの雑学力自慢は、テレビのクイズ番組だけに限りません。エドワードと世界各国を旅する中でも、常に彼の雑学は披露され続けているのです。
食事中もキャビアに関するうんちくを語り始めるカーター。
世界遺産を訪れても歴史に関するうんちくを語り始めるカーター。
とにかくいつどの場面においても、自身の雑学が自然と口からぽろぽろと出てしまうのです。
ただ、クイズ番組同様、彼の雑学は意外と「へえ~知らなかった」と思わされる内容ばかり。そのうえ知っていると、誰かに言いたくなるおもしろ雑学も満載!
仕事などで人に会う機会が多い方であれば、知っておいて損はない雑学もたくさん登場しているため、ぜひカーターから今後のタメになる雑学を盗んでみてはいかがでしょうか。
雑学は時に友情を深めるきっかけにもなる
もはや雑学王と呼ぶにふさわしいカーターですが、今作の中では、ただうんちくを披露して終わりというわけではありません。彼は最後の最後に、雑学が友情を深めるきっかけになるということも学ばせてくれたのです。
それがエドワード大のお気に入りである“コピ・ルアク”という名のコーヒー。一説では1杯5,000円すると言われるほど、知る人ぞ知る高級コーヒーです。
大富豪のエドワードにとっては、この“コピ・ルアク”を常に飲んでいることが、いかに自分がお金持ちであるかを証明するステータスのひとつになっていたのです。
しかしご存知の方も多いでしょうが、“コピ・ルアク”とはジャコウネコの糞から収穫された豆からつくられたコーヒーなのですよね……。
もちろんカーターはこの事実を知っていましたが、エドワードが“コピ・ルアク”がいかに良いコーヒーかを何度も力説していながらも、その雑学について触れることはありませんでした。
そしてカーターの余命が近づき、ふたりが最後に出会う瞬間となったとき。カーターはこの事実をエドワードに暴露します。
これまで“コピ・ルアク”がジャコウネコの糞から収穫された豆であると知らなかったエドワード。もう顔色が一気に変わりますよね。「いや、知っていたならもっと早く教えろよ」と。
でも最後の最後まで隠しておいた“コピ・ルアク”の雑学を教えた瞬間、ふたりとも大笑い。一時期は喧嘩別れしたままとなっていた彼らですが、このひとつの雑学により、最後の再会はふたりで泣くほど笑える楽しい時間となったのです。
二度見では日常の中でふと役立つ雑学を学ぼう
作中でさまざまな雑学を披露してくれたカーター。ただ、初見では物知りの人程度の印象だけで終わっている場合もあるかもしれません。
しかしじっくり見て聞いてみると、カーターの雑学は意外と役に立つことが多い! そしてラストのふたりのやりとりのように、雑学が人との距離を縮めることもあるのです。
二度見ではあえてカーターの雑学に注目してご覧になってはいかがでしょうか。すべてが役に立つとまでは言わずとも、ふとしたときに日常生活の中で役に立つ雑学のひとつや二つ、見つけることができるはずです。
「最高の人生の見つけ方」の二度見ポイント3:最後まで本心を見せなかった秘書トーマスの存在感
ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという豪華なダブル主演作品である今作ですが、なぜかそのふたりに迫るほどの存在感を見せていた人物が作中にはいました。
ええ、エドワードの秘書役であるトーマスです。
完璧な秘書であるトーマスなのですが、なぜか本心がなかなか読み取れない。おまけに腹黒いのか優しいのか、ただのツンデレなのか。とにかくラストシーンを見終わるまで本性を表さなかった彼の存在も、二度見では注目したいポイントです。
ブラックジョークが一切笑えない
おそらく多くの方が「トーマスって何を考えているのか、わからねえ」と思ったであろうシーンが、エドワードが入院した直後の場面ではないでしょうか。
自分自身が大病であることを知ったエドワードは、トーマスに「お前が俺だったらどうする?」と意見を求めます。
するとトーマスから返ってきた言葉は「そうですね、遺産のすべてを秘書に譲ると書き残します」との一言。見事に序盤から一切笑えないブラックジョークをぶっこんできたトーマス。
その後もエドワードの仕事から入院生活にいたるまで、彼の身の回りの世話をするものの、本当に遺産目当てではないのかと思うほど、時折、ぶっこんだ発言を繰り返すトーマス。
この時点では本当に彼が何を考えているのかわからず、もはやほんわかするストーリーのはずが若干ホラー化して見えてしまいました。
完璧すぎてテンプレのセリフも言えない
また死ぬまでにやりたいことリストのひとつとして、「エベレストに登る」という願望を掲げていたカーターとエドワード。
しかし実際にエベレストのふもとまで来てみるものの、あいにくの天気で数メートル先すら見えないという悪天候。
ここでトーマスが放った一言が「悪いニュースとより悪いニュースがあります」。そして間髪入れず、猛吹雪でヘリを飛ばせない状態であることと、吹雪がおさまるのは春以降であるということを続けざまに伝えてくるのです。
いやそこは普通、アメリカ映画の定番である「良いニュースと悪いニュースがあります。どちらから聞きます?」と言ってくれよ、トーマス。
悪いニュースをダブルで持ってきたうえ、ふたりの返答を待たずに同時に内容を話しちゃうのはナンセンスだよ、トーマス。
……と、終始、完璧な秘書でありながら狙ってやっているのかわからないほど、ブラックな一面を見せてくれたトーマスでした。
冷静沈着なトーマスが最後に見せた本心とは?
ストーリーの中では、ふたりの旅の手配から仕事の業務までをこなすものの、本心では何を考えているか一切わからなかったトーマス。
しかしラストシーンで映るのは、エベレストの山頂に登り、カーターの骨壺の隣にエドワードの骨壺を並べ、満面の笑みを見せたトーマスの姿でした。(実際は山に骨を置くのは禁止されていますがね……)
トーマスのこの行動により、ふたりが書き綴っていたやりたいことリストはすべてやりおえることができた。
そしてトーマスの笑みを見た瞬間、皮肉な態度しかとれず、なかなか素直になれないエドワードの秘書を務めていた彼は、あえて冷静沈着な態度を見せ続けていたものの、本当は心からエドワードのことを慕っていたのだなという本心がやっと垣間見られたのです。
トーマス視点での二度見はふたりを温かく見守れる
最初から最後まで何を考えているかわからず、時折放つ一言でシュールな一面も見せていたトーマス。そんな彼の本心は言葉には出さずとも、最後のシーンの行動から読み取ることができたのです。
二度見では主人公のふたりではなく、トーマス視点で鑑賞してみると、また違った見方ができ、カーターとエドワードのふたりをより一層、温かい気持ちで見守ることができるかもしれません。
「人生って何?」と頭をよぎったときに二度見したい作品
余命宣告をされ、初めて“死”という存在が現実のものとして目の前まで迫っていると知ったとき。おそらく多くの方は絶望の二文字に苛まれることになるかもしれません。
しかし今作は“死”の恐ろしさをまじまじと見せられる反面、生きている間であれば、人生は好きなように歩むことができるという当たり前でありながら忘れがちなメッセージを伝えてくれる作品でもあります。
日々の生活につかれ、人生に悩んだときは、ぜひ二度見の鑑賞でカーターとエドワードから生きることの意味を改めて再確認させてもらってはどうでしょうか。
きっとすぐに自分自身を変えることはできなくても、「人生って意外と楽しいことも多いのだな」とほんの少し前向きな気分になることができるはずです。
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